星渡りの野を後にしたアカネは、ふと足を止めた。
旅を始めてから、どれだけの時が過ぎただろう。
語を受け継ぎ、出会い、創り、未来へと放った。
それでもなお、ひとつの問いが心の奥底に残っていた。
「私の語は……どこから始まったのだろう」
その疑問は、火の語を得た最初の日から、ずっと彼女の内に潜んでいた。
答えを求めるように、彼女の足は自然と“始まりの地”へと向かっていた。
そこは、幼き日々を過ごした山間の村——語を知らぬ土地だった。
だが、村へ続く道は閉ざされていた。
「土砂崩れ……?」
それは自然の崩落ではなかった。
語の流れがこの地を避けていた。
風が止まり、火が沈黙し、響きが届かない。
「語が……断たれてる?」
アカネは立ち尽くした。
そして思い出した。
かつてこの村では、語を“禁忌”として扱っていた。
「語を口にする者は、災いを呼ぶ」
それが、この地で育った彼女に刻まれていた最初の“言葉”だった。
アカネはひとり、封じられた道を進んだ。
かつて遊んだ川辺、木立、祖母の祠。
すべてが静まり返っていた。
そして、崩れた社の奥に、一冊の古びた帳面が埋もれていた。
それは祖母が残した、名もなき“語の帳”。
ページをめくるたびに、見知らぬ記号や絵が現れた。
だがアカネは、それを“理解”ではなく“響き”として受け取った。
「……これは、私の記憶……?」
火のあたたかさ、風の遊び、月の夜の語り、星の祈り——
それらすべての原型が、この帳に宿っていた。
祖母は語を知っていた。
けれど、それを誰にも伝えず、静かに記し、封じた。
「……あなたは、語を継げなかったのね」
その祠の奥、最深部。
語を拒み続けていたこの地の中心に、焔が宿っていた。
誰も触れず、語らず、それでも絶えなかった“沈黙の語”。
アカネは静かに膝をつき、火種石を掲げた。
「私は、あなたを知っている。声ではなく、響きとして。恐れではなく、祈りとして」
沈黙の語が、揺れた。
火が灯り、風が吹き、村に語の気配が戻ってきた。
語は断たれていなかった。
ただ、忘れられていただけだった。
アカネは帳を胸に抱え、祖母の祠を後にした。
山を降りるその背に、新たな語が灯っていた。
それは“還り語(かえりご)”。
すべての始まりに還る語であり、次の始まりへと続く語。
語の地図に、最後の灯が加えられた。
そして彼女は知った。
語とは、終わりを持たないもの。
それは生まれ、継がれ、響き、そして還る。
アカネの旅は——終わりではなく、“輪”となって広がっていくのだった。