語の狭間で“無の語”と出会い、自らの語の調和を果たしたアカネは、深い安堵の中で目覚めた。
夜明け前の空は蒼く、霧が谷間を優しく撫でていた。
彼女の胸の火種石は、淡く白く光っていた。
「これが……私の語の形……」
火、風、月、そして響き。
それぞれが分離することなく、滑らかに織り合わさって、ひとつの鼓動のように彼女の中に存在していた。
少女――響きの子は、もう姿を消していた。
だが、語の祭壇の中央に新しい痕跡が残されていた。
淡い光を放つ花弁。
「“響き花”……語が調和した証」
アカネはそれをそっと火種石の中に収め、旅の続きを歩き始めた。
次に向かうべき地は、“朝の里”。
遥か昔、言葉の誕生を祝ったという聖地。
そこには、語の始祖に関わる“最古の語”が今なお語り継がれているという。
数日後、アカネは広大な丘にたどり着いた。
風が清らかに吹き抜け、草が一面に揺れていた。
遠くに小さな塔と、円形の広場が見える。
「ここが……朝の里」
彼女が足を踏み入れると、どこからともなく柔らかな歌声が聞こえてきた。
歌といっても言葉ではない。
響きと間合い、音の揺らぎによって感情を伝える“響歌(きょうか)”。
「ようこそ、語を継ぐ者よ」
声をかけてきたのは、銀髪の長老だった。
年齢は百を超えているようだったが、その声は透き通るように澄んでいた。
「あなたの中にある語は、多くを含んでいる。だが、まだ“起源”に触れていない」
アカネは頷いた。
「私は“語を受け継いでいる”だけで、その始まりを知らない」
長老は円形広場の中央に導いた。
そこには古い石碑があり、奇妙な図形が刻まれていた。
言葉でも記号でもない。
まるで音の波形のような文様。
「これは“語の種”」
長老が手をかざすと、石碑がわずかに光り始めた。
彼の語と、石に刻まれた響きが共鳴したのだ。
「ここでは“語”ではなく“音”がすべての始まりだった。焔も、風も、月も、それぞれの響きを宿している」
アカネは、自分の中に眠る火と風と月の語を解き放った。
響きが石碑に触れ、光があふれた。
そして、彼女の中からもう一つの響きがあふれ出た。
無の語。
それが他の語と溶け合い、新たな旋律を生んだとき、石碑が明確に鳴った。
かすかな鐘の音のように、夜明けを告げる音だった。
長老は微笑んだ。
「あなたは、語の継ぎ手であり、語の創り手でもある」
その言葉に、アカネの中で確かなものが芽吹いた。
語は受け継ぐだけではない。
生み出すこともできる。
そしてそれは、語り継がれてきた“使命”を越え、新しい“未来”の語になる。
「私の旅は、語を集めるためだけじゃなかった……」
火種石が淡く灯り、風標が優しく揺れた。
月紋は空に満ち、響き花がふわりと揺れる。
すべてが調和したその場所に、夜明けの光が差し込んできた。
アカネはゆっくりと目を閉じ、語の旋律に耳を傾けた。
語は、今まさに生まれようとしていた。