月の語を継ぎ、アカネは再び旅路に戻った。
火種石は微かに蒼を帯び、風標には銀の紋が浮かび上がっていた。
道は南へと向かい、かつて“語の狭間”と呼ばれた地へ続いていた。
そこは異なる系譜の語が重なり合い、時に響き合い、時に拒絶しあった境界地。
「この先は……語同士が共鳴する場所」
アカネは心の奥で語のざわめきを感じていた。
火、風、そして月。
それぞれの語が彼女の中で波を立てていた。
数日後、彼女は谷を見下ろす高台に辿り着いた。
そこには、巨大な石環が広がっていた。
中央には空洞の石柱があり、その周囲に小さな祠が六つ、等間隔に並んでいた。
「これは……語の祭壇?」
風が吹き抜けた。
石柱が低く、深く鳴った。
それは“声”ではなく、“共鳴”だった。
そのとき、祠の一つから影が現れた。
少女だった。
だがその瞳はアカネと同じ色をしていた。
「あなたも……語に選ばれた者?」
少女はうなずいた。
「私は“響きの子”。すべての語の狭間に生まれた者」
彼女の声は、火の温もり、風の軽やかさ、月の静けさをすべて含んでいた。
「あなたの中にも、いくつかの語がある。でも、それはまだ“調和”していない」
アカネは頷いた。
「語が私の中で……時々ぶつかる。静かなはずの火がざわめいて、優しい風が鋭く吹く」
少女は石環の中央へ導いた。
「ここは“語の融点”。語たちがぶつかり合い、あるいは混ざり、あるいは砕ける場所」
彼女はアカネの前に小さな火を灯し、風鈴を吊るし、月紋の布を置いた。
「それぞれの語が、本当にあなたと結ばれているかを、確かめなさい」
儀式が始まった。
火が揺らぎ、風鈴が鳴り、月の布が空に照らされた。
アカネの中の語が、ひとつずつ姿を見せはじめた。
炎の記憶、風の対話、月の夢。
それらはそれぞれに美しく、だが完全には交じり合わなかった。
「まだ、足りないのか……」
そのときだった。
地面からもう一つの語が立ち上った。
それは音もなく、形もなく、ただ“響き”だけだった。
「これは……」
少女が囁いた。
「“無の語”。全ての語を結ぶ、名なき語」
その響きがアカネの火に触れ、風に溶け、月の光を帯びていく。
三つの語が、初めて調和しはじめた。
石柱が鳴った。
風が踊り、火が高く舞い、月光が地に満ちる。
語が一つに、なろうとしていた。
「これが……“私の語”」
アカネは両手を広げた。
語たちは彼女の周囲を巡り、静かに一つの旋律を奏でた。
それは、かつて誰も聞いたことのない、新しい“語の調べ”。
少女は微笑んだ。
「あなたは、狭間の語を継ぐ者。古の調和を超えて、新しい語を編む者」
その夜、アカネは石環の中心に火を灯し、風標を立て、月紋を掲げた。
そしてその上に、響きの語をそっと刻んだ。
新たな地図が、彼女の胸に生まれた。
語はもう、単なる記憶や伝承ではない。
未来を響かせるものとして、動き始めていた。