アカネが生まれたとき、村の巫母(ふぼ)は言ったという。
「この子は、空の裂け目から落ちてきた火だ」と。
赤子だったアカネの瞳は、黒ではなく、琥珀色の奥で淡く光っていた。
産湯の中で揺れるその瞳を見て、人々は目を伏せた。
火に近づくものは祝福ではなく、祟りとされた。
彼女の母は病弱で、出産から間もなく命を落とした。
父は寡黙な狩人で、娘に近づこうとしなかった。
他の子どもたちが朝露のなかで遊ぶ頃、アカネはひとり山の中腹に通っていた。
そこには、誰も近づかぬ“火の祠”があった。
祠は古く、崩れかけていたが、中央には黒く煤けた石碑が立っていた。
火の神の名も記されぬまま、ただ焦げ跡のように焼き付いた記号が並んでいた。
アカネは、そこに座り、耳を澄ますのが日課だった。
火が語る声を、聞こうとしていたのだ。
村では彼女を「火憑き」と呼ぶ者もいた。
触れてはならぬ者。
関われば、災いが起きる。
ある年の冬、村を小さな火事が襲った。
藁小屋がひとつ焼け落ちたとき、誰かが呟いた——
「アカネが、あの場所のそばにいた」と。
それは根拠のない中傷だったが、村の目は冷たくなった。
誰も彼女に石を投げたりはしなかった。
ただ、目を合わせなかった。
けれど、アカネはいつも通り、火の祠に通い続けた。
枯れ葉を掃き、石を並べ、薪を積み、静かに祈った。
言葉にできぬ想いを、炎が代わりに燃やしてくれるように願って。
火を見つめるときだけ、彼女は安心した。
誰も触れてこない場所で、誰にも壊されぬ温もりの中に身を置いていられた。
祠の奥には、まだ誰にも読まれていない碑文があった。
削れた石の隙間に、時折、風が通り抜けるときだけ、かすかな音が聞こえる。
それが言葉なのか、それとも火の息づかいなのか、アカネにはわからなかった。
ある日、祠の前で小さな狐がうずくまっていた。
片目を閉じ、足を引きずっていた。
アカネは黙ってそれを抱え、火の祠の前に敷いた布の上に寝かせた。
火を起こす。
炎は静かに揺れ、狐の体を暖めた。
その夜、狐は夢の中で何かを語った。
アカネの瞼の裏で、それは言葉にならないまま燃えていた。
彼女は夢の中で、狐とともに森を歩き、焚き火を囲み、語られぬ昔語りを聞いた。
狐は口を開かず、ただ火の音だけが語っていた。
火は、彼女にしか聞こえない“物語”を教えてくれていた。
翌朝、狐は目を覚まし、静かに立ち上がった。
足取りはまだぎこちなかったが、歩けるようになっていた。
アカネは祠の外まで見送り、狐が森に溶けていくまでじっと見つめていた。
振り返ることなく、ただ一度だけ、火の祠に向かって小さく吠えた。
その声は、まるで別れを告げるようだった。
アカネはその声を、言葉だと思った。
そして確信した——
火は、彼女にだけ許された“語り手”の証なのだと。
それは孤独のなかで育まれた、ひとつの小さな火種だった。
その火はまだ弱く、誰の目にも映らなかったが、確かにそこに灯っていた。