山は、静かだった。
だがその静けさは、かつてと異なっていた。
サイシンの耳には、微かに“ずれた風の音”が聞こえていた。
それは、記録された語の「変質」を告げる予兆だった。
◇
ある夜、祠の奥にある古い石板が音を立ててひび割れた。
石板は、一族の始祖が記したとされる「祈りの語」を封じたもの。
それはかつて災厄を封じるため、語ではなく“構造”として刻まれた。
「封じの五線、断ちの刻み、語を越える記録技法……」
サイシンはそれを何度も学んだ。
けれど今、石板の継ぎ目から、微かな“声”が漏れ出していた。
それは、明らかに語として自立を始めている。
(……語が、独りでに変化し始めている?)
記録は本来、語の「響き」を封じ、保つもの。
だが時間が経てば、語そのものが別の形に“育ってしまう”ことがある。
記録が語の器ではなく、“苗床”になることがある――
そんな可能性を、彼は初めて知った。
◇
翌日、師である老記録者が祠に戻ってきた。
彼は石板を見て、深く息を吐いた。
「これは、“記された祈り”が形を変え始めた証だ。
語は、止めても、生きている。
それが“記録の責任”というものだ」
「……語が意図せず変質するなら、それは記録の失敗なのでは?」
サイシンの問いに、老記録者は首を振った。
「否。“変わらぬ記録”など幻想にすぎぬ。
重要なのは、変化の過程を見届ける覚悟だ」
◇
その夜、サイシンはひとりで石板の前に座った。
風はない。
だが語は、そこにあった。
「わたしは封じられた……でも、あなたが聴くなら、語ることができる」
それは、石板に封じられた“かつての祈り”そのものだった。
かつての語り手が、語を“止めるため”に記したはずの祈り。
だが今、それは新たな意味を求めていた。
(これは……かつて封じたものが、“語られたい”と願い始めている?)
サイシンは、記録札を一枚取り出した。
そこに“語の変化の痕跡”を写し取る。
文字にはしない。
ただ、祈りの構造に現れた“ゆらぎ”だけを記した。
◇
数日後、風渡りの者から文が届いた。
以前、祠に来たハバトの紹介によって、
新たな語を持つ者がこの地に向かっているという。
彼はこう記していた。
「あなたの記した語から、風が新たな流れを感じました。
祠の語が、再び風を起こす日が来るかもしれません」
サイシンは石板を見つめた。
「語を封じるとは、死ではない。
それは語の眠りであり、
語る者の登場を“待つ”ということかもしれない」
◇
彼は新たな記録札に、こう記した。
「封じた語は、変化し、祈りは響きに変わる。
それを“語”とするか、“記録”とするかは、
語り手の覚悟と、記す者の誠にかかっている」
語は変わる。
記されたことでさえ、確かなものではない。
だが、その変化を恐れず、記すことを選ぶ者こそが――
山祠の末裔なのだ。
サイシンは、音のない風のなかで、再び石を刻み始めた。