ユリノハマの光球は、日ごとに数を増していた。
ナギサが声を交わした青年――名前も知らぬその存在の残した“語”が、浜に眠る記憶と共鳴し、次なる扉を開こうとしていた。
夜が訪れ、浜辺に月光が射す。
ナギサはひとつの光球に導かれるように歩み寄る。
それは他と異なり、幾重にも重なる波紋のように震えていた。
手を伸ばすと、瞬時に光が弾けた。
目の前に広がる景色――それは遥か昔の潮流の民の集会だった。
浜辺には無数の人々が集い、焚き火の周りで語を交わしている。
その中心には、岩壁に彫られた無数の線と印。
それは“記憶を刻む潮の文字”と呼ばれ、語を視覚として残す手段だった。
古の語り部たちは、潮と共に語を編み、やがてそれを石に刻み、時を越えて伝えていたという。
火の揺らぎのなかで、語られるひとつひとつの言葉が人々の胸に届いてゆく。
子どもたちは膝を抱えて耳を澄まし、年老いた者たちは目を閉じ、記憶の海に身を委ねていた。
「……語が、記されていた」
ナギサはつぶやいた。
(ならば、なぜ今、その記録は絶えたのか)
映像の中に、あの老女とよく似た姿の者を見つけた。
その者は彫り師であり、語の記録を守る“潮刻み”だった。
彼女の手の動きは迷いなく、まるで波をなぞるように滑らかだった。
「これは……わたしの血に流れている記憶?」
意識が再び現在へ戻る。
目の前の岩壁に、微かに残る古代の模様。
ナギサは手で触れた。すると、その模様が淡く光り、彼女の語が震える。
――記録を失っても、語は死なない。
その言葉が、胸の奥に深く染み入る。
ナギサはその感覚を言葉にしようとした。
すると、口から漏れた音が、浜全体に共鳴するように響いた。
「“ナサムエ”」
それはかつて潮流の民が使っていた“語の鍵”のひとつ。
忘却に抗い、記憶を開く合言葉だった。
すると浜辺の光球たちが一斉に舞い上がり、夜空に淡い帯を描いた。
その光はやがて収束し、海の奥からひとつの島影を浮かび上がらせた。
ナギサはその光景を息を呑んで見つめた。
霧に包まれたその島は、静かに海の上に浮かんでいた。
「……あれは……」
青年の声が風に混じって届く。
「記録の聖地“シオクラ”……ユリノハマの奥に、今なお残る最後の潮刻みの地」
ナギサの胸が熱くなる。
語を記し、声を残す。
それは過去を継ぐだけでなく、未来へと橋をかける行為。
「私が、語り部になる……」
ナギサの中で、言葉が形となった。
彼女はもう、ただ過去を知る者ではない。
過去と今を繋ぎ、そして未来へ語を託す者へと変わろうとしていた。
浜辺の波が優しく足元を洗い、まるでその決意を祝福しているかのようだった。
ユリノハマの風が、再び彼女の髪を優しく撫でた。
星々は静かに瞬き、遠い記憶と新たな物語の始まりを照らしていた。